音程は「点」ではなく「流れ」の中にある
- 泉山民衣
- 7月29日
- 読了時間: 2分
音程の正確さを意識するとき、
個々の音を「点」として扱ってしまうことがあります。
けれど、音楽は本質的には「時間の芸術」です。
曲が始まってしまえば、音はいつも流れていて、止まってくれません。
だからこそ、その一音の音程も、時間の中で捉え直す必要がある。
つまり、音程は絶えず変化していくプロセスの中に存在していて、
その一音という「点」は、
必ずメロディラインという「線」や、
ハーモニーという「層」に関連していきます。
たとえば、ある音の音程が気になるとき、
それをその一音だけで評価しようとせず、
直前の音との音程的な距離(インターバル)、
そしてその音が次に向かうべき音との繋がりを見てみる。
そこには、
メロディの輪郭(contour)
ハーモニー上の位置付け
音楽的フレージングや呼吸との関係
が絡み合っており、その中で音程はより自然に、説得力をもって現れてきます。
つまり、単一の音のピッチが合っているかどうかだけを問題にするのではなく、
前後の音との音程間隔(インターバル)や、メロディラインの中での方向性、
そして拍感やフレーズの重力感といった要素と一緒に捉える必要があるのでは、と思っています。
音程は、フレーズの文脈の中で捉える
たとえば、ある音に「到達した」とき、その音は単なる終点ではありません。
次に進むための出発点にもなります。
音は常に「どこから来て、どこへ向かうか」の連続の中にあり、
音程もまた、その時間の連続にある通過点上にあります。
拍感やリズムの流れを無視して音程だけを調整しようとすると、
音楽の運動性が損なわれ、「正しいけれど生きていない音」になってしまいかねません。
音程と拍感・リズムの協調
音程を「正しく」取ろうとして、
音程練習にありがちな「止まって確認する」作業。
そうやって、拍の流れから意識が外れてしまうと、
結果的にその音の機能やエネルギーも損なわれてしまいます。
拍の流れを保ちつつ、音程感覚を連続的に更新していくこと。
音楽の流れに乗った中でインターバルの差や広がりを感じることで、音程もより安定し、音楽的な説得力が生まれていくのではないでしょうか。

音程とリズムの両方を、個別にではなく「時間の流れの中で連続的に捉える」
音楽とは、時間の中に現れては消えていく音たちの関係性の芸術です。
だからこそ、点ではなく流れとして、音程も拍感も「関係性の中で」聴く・奏でる感覚が、どんなジャンルでも深い表現につながっていくのだと思います。





