“練習曲の4小節”
それをいかに曲として扱うかは大事です。
たかが4小節、されど音楽が詰まった大事な大事な4小節。
”練習曲”もれっきとした曲なのです。
じゃあその音楽は
何を表したいのか、
何を表してるのか、
そこを深く考えて演奏してみると素晴らしい音楽が見えてきます。
そこでもう一つ大事なことが「音楽の流れ」です。
楽器の音を鳴らすことに囚われて、
音楽の流れを邪魔すること、遮断すると、
音が鳴っていったとしても、残念ながらそこに《音楽》は存在していません。
「音楽の流れ」=「時間の流れ」=「川の流れ」
という考え方をしてみましょう。
「時間の流れ」は絶え間なく進んでいきます。時間は抗いようがなく、止めようと思っても止められません。
「川の流れ」は上流から下流へと流れていきます。この流れをせき止めるためには何かを邪魔させるほかありません。
「音楽の流れ」も同じだと思うのです。
曲が始まるより前からずっと「音楽の流れ」は音がそこにないだけで流れ続けてきている、
曲が終わった後も流れ進み続ける(これが余韻にあたる)。
川の流れ(=音楽の流れ)の中に、笹舟(=音)を乗せてあげると、勝手に大きな流れに乗せて連れて行ってくれます。
ならば、それに抗うことなく、「音楽の流れ」を意図的に作ろうとしなくても、
曲が始まる前から流れているその流れに乗ってしまえばいいと思うのです。
すると自然な音楽となり、心地よい音楽になるのではないでしょうか♫
自分の足で道を歩かなくても、音楽の流れに乗ってしまえば勝手に連れて行ってくれますね♬