本番の日。
この日のために練習を積み重ねてきました。
その本番までの道のりを、私の実体験を通して、3つのセクションに分けて書きました。
この前の記事はコチラ。
今回の記事は、本番当日、本番までの長い道のりの最後の記事です。
舞台上、お客さんと共にいる空間での演奏が始まります。
演奏中、何を考えますか?

私は昔、演奏中の会場にいるお客さんの反応が気になって、
「つまらないと思ってるんじゃないか」
「下手って思われたくない」
その気持ちがある分、
「ここでヘマしたらどうしよう」
「(難しい箇所の前には)あ、やばい」
そんな雑念が入り混じり、
お客さんの顔を見ることができませんでした。
けれども、
《お客さんがどう思っているか》
それは、心を読めるわけでもないので、事実は絶対にわかりません。
気にしても仕方のないことなんですね。
「つまらないと思ってるんじゃないか」
「下手」
これはお客さんが思っていることではなくて、
自分が思っている、勝手に創り出した虚像*です。
そんな雑念が入っているときの演奏は、
真に音楽の流れに乗っているものではありません。
*日常に潜む《あの人にこう思われているかもしれない》
これも、自分が勝手に創り出した虚像。
そう思いながらの自分の相手への振る舞いは、どこかぎこちないもので、
現実の、事実の相手との関わりではなく、
自分自身が創り出した《その人》像を、
自分で勝手に色メガネをかけて見て関わることになるので、
相手にとっても自分にとっても、好ましくないのではないでしょうか。
ただ純粋に、
「私は今から演奏するこの曲を、皆さんがいるこの広い空間で共有する」
そう思って舞台に立ちました。
本番の演奏。至福のひととき
そして、本番の演奏中。
この時演奏する曲がどんなストーリーなのか、自分で曲から感じるイメージで考え、楽譜に書き込んで、そのイメージを思い浮かべながら演奏しました。
(これはこちらのブログに→今いるこの空間で、音楽のストーリーに合わせて何が起きて行くのかを具体的にイメージする)
このように、ここまで書いてきた道のりを意識的してやっていくことで、
この時の本番は本当に至極のひとときとなりました。
ピアノの音が会場に広がり流れていく感覚、
そのピアノの音に重なるように自分のサクソフォンが交わり、
思いえがくこの曲のストーリーを頭に浮かべながら1音1音紡いでいく。
ピアノが奏でる繊細な音の流れを耳で、空気感でキャッチしながら、
それを踏まえて自分の表現をその場で生み出し、
その音がまたさらに次の1音を生み出していく。
練習の再現ではなく、
その時、その空間、その場にいる全てによって新たに生まれ出る音楽。
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この時の演奏会にお越し下さった、アレクサンダー・テクニークを共に学ぶ先輩から、
次のような感想をくださいました。
「 ほんと素敵でした。
存在感が際立っていて、はじまる前の自分の時間もゆとりがあって、招待もしてくれていて。。。
登場から、終わっての挨拶、去っていく。
全てがスローモーションのように
抑制と情熱が1つになっていて
鳥肌もんでした。
欲目でなく、音楽性、存在感、曲への愛、招待。。。
ピカイチでした。
会場までしっかり意識が届いてきて、
すっごく大きく見えて、
なにより美しかったです。」
なんて嬉しい言葉の数々でしょうか。。。
理想とする演奏、音楽を手に入れるために、
その時までのステップを大切に、
貪欲に【何をするか】を追求し、決定し、遂行していく。
そうすることで、至福のひとときを生むことができることを身をもって体感しました。