・間違えるんじゃないか
・注意されるんじゃないか
・うまくいかないんじゃないか
こんなふうに、これから起きることに不安や恐怖を抱く場面は誰にでもあるのではないでしょうか。
不安や恐怖にずっと囚われていては、
思うように動けずにジレンマも出てきませんか。
そこで、不安や恐怖があったとしても動けるように、
一つのアイデアが
【今から起こることは全て『はじめまして』 】
子供を見ていれば、だんだんと成長していくのが目に見えてわかるので、
日々変わっていくというイメージはありますね。
大人になるといつの間にか忘れてしまいがちですが、
大人も、日々、いろんな影響下で自分の身体や思想が変化しています。
その時・その時、ずーっと絶えず変化しています。
ということは、毎瞬毎瞬、新たな自分の存在が、初めての時間を経験して生きています。
これから起こることを予知することはできないので、
全てが【はじめまして】となります。
自分自身が今までの経験の上で生きているのは事実ですが、
刻々と変わっているのも事実です。
同じことの繰り返しのように思っても、
それは、同じようなことをしているだけで、
細かく見れば、本当はいつも違っています。
わたしたちは、
いつも、
気づいていなかった小さな小さな『はじめまして』を日々繰り返しながら、
経験したことのない、知らない未来を今生き続けています。
今吸ってる空気も、実ははじめまして。
今使っているこの指の動きも、実ははじめまして。
いつもしている、歩くのも、座るのも、ご飯を食べるのも、目で見るのも、耳で聴くのも、
動きも感覚も全てが実ははじめまして尽くしです。
いつも会っている人であっても、
同じように日々変わっているから、実ははじめましての人ですし、
いつもの楽器も実ははじめまして。
なんだか、こう思うと面白くなって来ました^^
昔勉強したものに、こんなもがあったのを思い出しました。
平家物語の冒頭
『祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり』
辞書によれば、『諸行無常』とは
"この現実の世界のあらゆる事物は,
種々の直接的・間接的原因や条件によってつくりだされたもので,
絶えず変化し続け,
決して永遠のものではないということ"
これから起こることは、
実は何も分からなくて、
今までの経験から勝手に予測しているだけ。
本当に予測したことが起きる保証はどこにもありません。
そもそも、
毎日毎時間毎分毎秒、「はじめまして」なんだから、何が起きても当たり前。
今、今の自分で、この場、この状況って、はじめてなんだよね〜
と思うと、不安も恐怖も当たり前です。
起きてもないことを怖がって(昔の経験に囚われて)、
踏み出さないのも、勿体無くないですか?
次の瞬間、
どんな自分に出会えるのか、
どんな楽器と触れられるのか、
どんな音を聴けるのか
毎瞬毎瞬、すべてに「はじめまして」と思うとワクワクで、
いつも同じように感じてたものも、新鮮味が出てきました。
先の不安・恐怖を感じるよりも、
その「はじめまして」を毎瞬堪能することの方がよっぽど良いかと思います!